いまも、むかしも。これからも。
ずっと、なにかを探していたのかもしれないな、とおもう。
永遠、とかそんな青いものを。
青春だったな、ともおもう。
1000年以上の時をこえて、歴史の声がきこえるまち。京都。
いまも、むかしも、京都に住んでいるし、これからも、住んでいたい。

わたしは大学進学を期に、京都へとやってきた。
はじめてのまち、はじめての一人暮らし。
想像以上に愉しく、でもときに死んでしまいたくなるほど哀しい日もあった。
わたしになんて、価値がないんじゃないの、
そうやって自己否定を重ね、泣いた夜は何度あっただろうか。
ぐらぐらする足もと。
アイデンティティの崩壊というものを、何度味わっただろう。
わたしって何?
どうやって生きていけばいい?
これからわたしはどこへ向かっていくの?
寂しくて。
認められたくて。
愛されたくて。
そのいっぱいいっぱいの感情を、誰かにぶつけてしまうときもあった。
鴨川のほとりで、よく泣いていたわたし。
泣きながら鴨川の流れを見て、ふと。
古典好きなわたしはあの一節を思い出してしまう。
“ゆく河の流れはたえずして、しかも、もとの水にあらず”
鴨長明の声。モトノミズニアラズ。
あのころのわたしは、“無常”を寂しがっていた。変わりゆくこと、その流れる時への恐怖。
“いまは仲の良い友人も、いつか、離れていってしまうのではないか”
失うことが怖い。なくなってしまうこと、変化してしまうこと。
確たるものを欲していたのだとおもう。
無常だ。季節や自然も、権勢も、人の心も、人生も。その切なさに、苦しくなった。
でも。わたしが憧れていたひとはこう言った。
“大事なものは、手放しても戻ってくるのよ。”
“わたしもね、20代のうちは、不安と焦りでいっぱいだった。必死でしがみついていた。手にしたものをなくさないように。失わないように。可能性で溢れているぶん、たくさんのことで悩むと思う。でもね、大事なものは、一旦手放しても、戻ってくるの。それを縁と呼ぶのかもしれないわね。”
夜の京都を歩きながら、彼女の言葉を反芻させていた、まだ20歳になったばかりだったわたし。
手放してもいい?ほんとうに?
みんな離れていくでしょう?
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悩んでいた、苦しんでいた、あの頃の時間。
あのとき悩みながら見た景色。
醍醐寺の散りゆく桜。
鴨川の水の流れ。
夜の四条通り。
いまは、その全てが愛おしい。
そして、あの頃のわたしに言ってあげたい。
“そんなにしがみつかなくて、だいじょうぶ。手放しても、あなたは愛されてるよ”と。
これからも、このまちで、生きていたい。
愉しいことも、苦しいことも、ぜんぶいっしょに。
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